ピノ・ノワール

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教育について

変化していくものとして捉える

教育というのは、時代によって変化していくものというのを誰もが認識しなければならないと思う。一昔前は儒教的な考えが強く、今では子どもでも1人の人間として扱わられるべきだという意見が多くなってきていることを考えれば、教育は当然変化していくと思う。そして、これからも変わり続ける。

前時代≠否定されるべきもの

昔のやり方は間違っていた!で済ますのは簡単だけども、それだと歴史を学ぶ意味がないので前任者もしくはまだ在籍している人を否定するのは自分が時代から取り残される可能性を孕んでいる。過去を学ぶのは今の時代を観察する手段を学ぶことでもある。

儒教的な教育

例えば、昭和の時代から続いていた儒教的な考えについて振り返ってみると戦争時代も含めて、社会に求められているのは組織に貢献する人材を育成することだった。だから、個人の意見よりも挨拶やトップダウンな考えを理解し実行することが何よりも必要とされていたため、暴力で理解させることや過剰なまでに人間関係を重要視する教育方法が最適だった。だから、前時代な教育は間違っているのではなくてむしろ時代に即した質の高い教育でさえあると言える。

自立的な教育

では、欧米的な考えである自立的な教育は現在盛んになっている教育方法だ。アクティヴラーニングやディスカッションなど、能動的な姿勢や個性的な考えを持つこと、課題発見、課題解決力にフォーカスされた教育だと言える。

これが必要とされている理由は1つはグローバル化だ。儒教国家であれば、上下関係がはっきりしていれば前時代的な教育で十分だが、相手が自立的な風土がある国ではそうはいかない。自分の意見を発信し、協力していかなければならない。

もう一つの理由としては、前時代的な方法で解決できることが自動化されつつあるということだ。言われたことを確実にこなすのは機械学習が得意とするところで、まず最初に自動化が進んでいく分野だと言える。

街クラブに求められる教育

以上は教育全般に関しての意見です。ただ、街クラブについてフォーカスしてみると、やっぱり前時代的な指導をしている方はたくさんいらっしゃいます。私はそれが悪いとか問題外だというのはあまりにもドライで危ない考えだと思います。少なくとも私はそれで育ってきたし、前時代の人がいたからその場が存在したのは紛れもない事実です。そしてそういう考えの人はこの先確実に減っていくというのも事実です。我々の世代が前時代と言われるのは10年もすれば言われていくでしょう。上の世代は考え方が硬いと言えるのは、学ぶことに意欲的な世代だからですが、上の世代を理解しようとしないその姿勢こそが、年齢を重ねた時に考えが固まってしまう原因だと思います。その時に考え方をアップデートしていくためにはやはり前のやり方の劣っているところや優れているところを理解することが何より大切なのではないでしょうか。そして、優れた考え方を共有する姿勢とその方法を学ぶ姿勢があれば、どの世代でも誰もが活躍できるようになるのではないでしょうか。結局、サッカーの話じゃなくて教育の話になっちゃった。